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2019.11.15

訪問診療ブログ『フラワーウォール』

金谷 潤子
11月14日

今をときめく米津玄師さんは本当に類稀な才能に溢れていると、どの歌を聴いても感心してしまいます。
歌詞に感動するのは中島みゆきさん以来。
中でもこの歌が大好きです。

…………………………………………………………………

  Flowerwall
            作詞作曲・歌 米津玄師

あの日君に出会えたそのときから
透明の血が僕ら二人に通い
悲しみも優しさも 希望もまた絶望も
分け合えるようになった

知りたいことがいくつもあるというのに
僕らの時間はあまりに短く
あとどれほどだろうか
君と過ごす時間は
灯りが切れるのは

君のその声が 優しく響いた
こんな憂いも吹いて飛ばすように

フラワーウォール
目の前に色とりどりの花でできた
壁が今立ちふさがる
僕らを拒むのか
何かから守るためなのか
解らずに立ち竦んでる
それを僕らは運命と呼びながら
いつまでも手をつないでいた

このあまりに広い世界で僕たちは
意味もなく同じ場所に立っていたのに
僕の欠けたところと
君の欠けたところを
何故かお互いに持っていた

どうして僕らは 巡り会えたのか
その為だけに 生まれてきた様な

フラワーウォール
独りでは片付けられないものだろうと
君がいてくれたらほら
限りない絶望も
答えが出せない問いも全部
ひとつずつ色づいていく
離せないんだ
もしも手を離せば
二度と掴めないような気がして

誰も知らない
見たことのないものならば
今 僕らで名前をつけよう
ここが地獄か天国か決めるのは
そう 二人が選んだ道次第

フラワーウォール
目の前に色とりどりの花でできた
壁が今立ちふさがる
僕らを拒むのか
何かから守るためなのか
解らずに立ち竦んでる

それでも嬉しいのさ
君と道に迷えることが
沢山を分け合えるのが
フラワーウォール
僕らは今二人で生きていくことを
やめられず笑いあうんだ
それを僕らは運命と呼びながら
いつまでも手をつないでいた
…………………………………………………………………

私も、目の前に立ちはだかる壁を
いつも感じて生きて来ました。
ある時は疲れ果て
ある時は怒り苛立ち
ある時は泣き崩れ

それは自分にとって
障壁や害悪、災難としか
思って来なかったけれど、
もしかすると、
何かから自分を守る壁だったのかもしれない

「色とりどりの花の壁」と表現し、
その意味を問いかける、
米津さんの文学的才能に心打たれながら、
愚かで迷うばかりだった自分の半生を振り返ります。

※写真は数年前に訪れたラスベガスのショッピングモールの天井アートです。

2019.11.15

訪問診療ブログ『ソーシャルワーキング、そこに愛はあるんか?』

金谷 潤子
11月13日

私は在宅医療業界に入る前、
病棟時代からコツコツ自分で患者さんの為のソーシャルワーキングを自分なりに工夫していました。

医療は、悪い部分だけを取り出して新しい部品と交換するという単純な作業ではありません。

特に在宅医療では、時には心身の不都合の解決ではなく、
患者さんが望む生活をする為に、どのような工夫が必要かを考える医療内容を含むサポートが求められます。

それはパズルの様に、
適切な場所に、正しいコマを当てはめることではない。 

そこに愛があるかどうか。

何を馬鹿げたことを言っているんだ?
と、思われるかもしれませんが、
「美学」とはバランスやスタイルではない。

人としての「美学」

人らしさ。
それは、真心でものを見つめること。

自分の医療に美学を持っています。
私の在宅医療はソーシャルワーキングを抜きには語れません。
ソーシャルワーカーさんの担う連携作業だけがソーシャルワーキングではありません。

誰でも考えることができる、
人の真心を形にするための設計図を作ること。
その設計図の工程表がすなわちソーシャルワーキングだと思っています。
行き当たりばったりでは人生の仕上げ部分を請け負うことなんてできるわけが無い。
検査をしたり、薬を出すことが在宅医療では無いのです。

生活に関わる全ての方々、
ご家族、ケアマネさん、デイサービスのスタッフ、ショートステイ先のスタッフ、訪問リハさん、訪問歯科さん、訪問看護さん、薬剤師さん、ヘルパーさん、福祉用具さん、お友達、ご近所さん、
病院との連携のみならず、それら全ての方々の素晴らしい技術やパワーや心がどのように組み合わされば良いか、そのタイミングはいつか?

その工夫の全てがソーシャルワーキングです。
時には介護保険や医療保険の枠を外して考える必要もあります。
高齢者も障害者も、
保険の枠で縛られて生きてはならないのです。

個人の自由意志が尊重され、
多くの方の真心が活かされ、
そして、その集結が新たな生きがいや幸せを生んでいくことを目指すこと。
それが、私の在宅医療の美学です。

※写真は患者さんのお部屋です。
ふと見ると棚に飾られたお人形達にオヤツが添えられていました。
隣のお仏壇のご主人の写真の前にもポテトチップが添えられていました。
こんな尊い優しさを大切にしたい。

2019.11.15

訪問診療ブログ『語りかけと温もりの持つ力について』

金谷 潤子
11月1日

高齢で寝たきりとなり、意志の疎通もできない状態、
或いは終末期でもうお迎えの近い親御さまに、
息子さまや娘さまから
「何を話したら良いか分からないのです」
と、ご相談を受けることがあります。

「母は動けないし食べれないから、
辛いだろうと思うと話題も選んでしまって。」

「もう死を待っているだけの父さんに、
なんて声かけて良いか分からない」

「病院に行ってもする事も無いので
顔を見たら直ぐに出てきてしまうんです」

「自分の親って、なかなか話す話題無いですよね。
目を開けてても寝たきりで話もできないから…。
眠っててくれると、安心して家事もできるからホッとしちゃうんです。」

息子さまや娘さまも、
もしご自身のお子さまがいらっしゃるのであれば
良く分かるでしょう。

我が子が学校から帰ってきて
「あのね、今日ね…」から始まるどんな報告も
楽しく嬉しかったり、
一緒に悔しい思いをしたり、
一緒に涙したり。

自分が食べてない美味しいものを、
我が子が食べてきて嬉しそうにそれを報告したら
不愉快な気持ちになりますか?
自分が行けないところに、我が子が旅に行ったと教えてくれたなら、悔しくて悲しくて憂うでしょうか?

親御さんは子供のどんな話も嬉しく聞くでしょう。

今日こんなことがあったよ。
昼ごはんには新蕎麦を食べたよ。
雪虫が飛んでいたよ。
懐かしい友達に会ったんだ。
実は悩んでるんだ。
久しくお会いしてなかった間のものがたりも。

お話できなくても、
相づちすらできなくても、
きっと親御さんは聞いている。
知らないことでも、
興味無いだろうことでも、
子供さんの話はしっかりと心に届いている。

そうかい、そうかい。
良かったね。
それは嬉しいね。
楽しそうだね。
飲み過ぎないようにね。

どんなことでも
どんな些細なことでも嬉しいに違いない。

手を握ってくれるだけでも。

小さな頃から育ててきた我が子の手は
今は大きくゴツゴツになっていても
親御さんの心の中では
いつまでも小さな可愛らしいもみじの手。

もみじの手で触れてくれたなら、
どんなに幸せだろう。

昔ギューっとしてくれた様に、
寝たままであっても頬寄せて抱きしめられたなら
どんなに嬉しかろう。

ですから、
親御さんのところで
ご自分の思いつくこと何でも
お好きに話すと良いと思います。
言葉を見つけられなかったら、
手を握ったり頬に触れたり、ハグするだけでも。

寝たきりだったり意識が無いと見える方でも、
耳は聞こえています。

触れても何も反応しなくても
誰の手か誰の温もりかきっと分かります。

私もきっとそうだと思うから。

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