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2019.10.11

訪問診療ブログ『緩和ケア医療は母さんの手料理』

金谷 潤子
10月6日

当院院長と話しているといつも思うのですが、男性医師(ジェンダーハラスメントでしょうか…すみません)、或いは大学病院医師(院長は大学病院時代が長かったので)は、やはり薬剤や治療について学術的な使用法を踏襲しようとします。

私が、色々な薬剤を組み合わせて使ったり、匙加減の微調整をしたり、不思議な使い方をすることを訝しげに感じる様です。

最近、在宅緩和ケア医療は科学者には不得意分野なのではないかと思う様になりました。

以前も確たる答えの導かれない学問(哲学や芸術や。)に近いと言うお話はしました。

緩和ケア医療は、患者さんの中から「痛み」「不安」と言う「消滅したい部分だけ」を取り出して治療すれば良いのでは無いのです。
「痛み」「不安」を取り出すことができて、潰して無くすことができたならそれは科学的緩和ケア治療だと思いますが、実際にはありません。

痛みや不安は、人の生活の中で生じ、またその人の人生や取り巻く環境などたくさんの因子と繋がって影響を受けているからです。
もちろん、痛みも不安も全て感じなくなる様にボンヤリしていただく薬剤治療を望まれることもあるでしょう。
しかし、住み慣れた場所で最期まで生きたいと言う願いを持つ方は、大抵はその様な治療を望まれません。

では、どうしたら良いか。

緩和ケア医療を料理に例えたら、怒られるかもしれませんが近いものがあります。
お料理で作り上げる味は、万人にとって美味しいものとは限りません。
その時の食べる方の体調や、気分、気温や湿度、時刻などに左右されます。
また、使う素材や味付けの組み合わせも、微妙な匙加減(言葉通り)で変化します。

お母さんはあなたに聞くでしょう。

今日何食べたい?
昨日は眠れた?
お昼に何食べたの?
最近、忙しい?
ちゃんと眠れてる?

そして、他にも色んなことを考えてメニューを考えてお料理を作るでしょう。
暑ければ扇風機も用意して。
冷たいビールも添えて。
寒ければお鍋にしましょうか。
温かいお茶を先にどうぞ。

心こもったお母さんの手料理は科学とはちょっと違います。
緩和ケア医療とは、そういうことです。
もちろん薬剤の手助けが必要となることは多いでしょう。
しかし、導きたいことは「痛みゼロへの鎮痛」や「瞬間で就眠」ではなく、

「痛みだけに心が向かないで済む、安心」
「不安を感じないで穏やかに訪れる眠り」

それは人の「心」と言う大事な隠し味無しには達成できないのです。
ですから、イメージは「母さんの手料理」です。
母さんの手料理を作り上げるには、時にはたくさんの「母さん」が必要です。
そして「父さん」ももちろん必要です。

そんなことを考えて工夫することが、緩和ケア医療なのです。

※写真は今日のお昼に食べたびっくりドンキーのプレート。サラダに「ドレッシングじゃなくてマヨネーズにできますか?」と図々しく聞いたら、可愛らしい店員さん、笑顔でマヨを小皿に添えてくれました。個別の微調整、幸せですね

2019.10.11

訪問診療ブログ『はじめまして』

金谷 潤子
10月6日

札幌で細々と在宅医療を主に時に予防医療や代替医療をしております。

時代の流れとともに「家に最期まで」或いは「最期に家で」という方は増えており、ここで投稿している内容もいつしか看取りのご紹介が殆どとなりました。

私の仕事は語り部ではありません。
百数十人の自分の患者さんの生活を少しでも安心なものにするサポートとして、医療からの工夫をする医者です。
しかし、終末期医療や緩和ケア医療に対して、
一般の方はもちろん、たとえ病院の医師であっても誤解されていることがあるという事実に少しずつ気がついてきました。

お話する機会や、或いは投稿することで、

「もっと難しく考えていたために少しの勇気が持てなかった」
「そうだと知っていたら、あんなに悩まなかった」
そんな声が少しでも減り、
病院の医師とも良い関係性を築くことができるかもしれないと、不肖にも考えて今に至ります。

在宅医療を始めて6年、
投稿を始めて6年。
ありがたいことに、今は月に1〜2回講演依頼もいただくようになりました。
資料無しのその場語りで在宅医療や終末期医療などについてお話させて頂いています。

要介護5の父の主治医となるべく、在宅医療の道に進みましたがその父も昨年急逝致しました。
しかし背中を押してくれる父の手を今も感じています。

当院の在宅診療部は私1人のかかりつけ医ですので、
常に訪問看護さんや訪問薬局さん、ケアマネさんや地域の福祉介護の方々のご協力を得て、お一人お一人違うチームの顔ぶれの中、医療面での船頭を致します。

残された時間の短い患者さまには、
「在宅医療は、病院をそのまま家に持ってきたのではない」
「人の心身を整える為の工夫は無限で、日々変化する」
という信念の元に自分流の緩和ケアサポートをしております。

終末期の関わりは、マニュアルで全てを語ることができません。
人のいのちの内なる声、不安、願いを感じ取り、
たとえ僅かでもご本人やご家族にとって少しでも良い時間を過ごしていただくため、臨機応変を可能にするチーム医療でありたいといつも思います。

私は終末期に24時間点滴やポンプを用いることが殆どありません。
先にも述べたように、在宅医療は「家でも病院と同じことができること」という部分に安心があるわけでは無いからです。

病院と同じことをしなくても、
或いはむしろ医療によるコントロールを外れた方が、「自分で最期を整える力」が思う存分に発揮できると感じているからです。

もっとシンプルな
けれども丁寧で個別な方法で、
安心や安楽を生み出すhow-toの力量が自分に問われているといつも感じています。
まだまだ精進して参ります。

どうぞ宜しくお願い致します。

2019.10.11

訪問診療ブログ『潔い生き様と最期の在り方』

金谷 潤子
10月3日

白血球の異常高値、凄まじい炎症の存在。
肝機能の悪化。
この検査結果だけを見ますと、
かなりの危篤状態、高熱で或いはせん妄まで起こしているかもしれない。
痛みに苦しみ、動くことも飲食もままならないのでは?と想像されます。

この方は昨年お看取りさせていただいた、あるお若い食道癌末期の患者さんです。
4回に分けて投稿しておりました。
改めて1つにまとめましたので少し長いのですがどうかお読み下さい。

この時、この検査結果の状態でお一人で歩いてスーパーにお買い物に行き、鼻歌歌いながら秋刀魚を焼いたり、カレーを作って美味しく召し上がって居ました。
夜には毎日ビールも楽しまれていました。
もちろん告知は受け、
ご自身の希望で自宅退院し、
日々ご自身の為すべきことを仕上げておられました。
初めは睡眠薬や精神の薬などは要らないと仰っていましたが、私の説明に理解頂いてからはしっかり服用されて夜には良い睡眠を得られていました。

在宅医療の現場では、検査結果や診断とはかけ離れた人の心身の凄味、底力を見せつけられることが多くあります。
多分、人間の持つ当たり前の力なのでしょう。
それが普通に発揮されるだけなのかもしれません。

この検査結果から1ヶ月が経過しました。
呼吸困難が進行してきて、疼痛も強くなってきたので
モルヒネの内服を開始しました。

最初はとても調子良く過ごしていましたが、呼吸抑制から炭酸ガス血症となった為か、或いはモルヒネのせん妄か、ぼんやりとし始めました。

彼はノートに書き殴りました。

「廃人になった」
「薬で頭がおかしくなっている」
「自分じゃない」

お一人暮らしの部屋も荒れ果ててきました。
訪問看護師さんと相談して一度全て麻薬類を切りました。
薬が抜けてくると言葉が次々と現れてきました。

「もう残された時間は短いかもしれません。
でも、これは誰にも分かりません。
もともと、ご紹介頂いた病院の先生が予測していた時間の4倍くらいは既に経過しているのですから。」

「お迎えが近いことは怖いですか?」

「死ぬのは怖くない。自分が無くなることが怖い。」

「もうお身体はずいぶんとお疲れになってきているようです。
酸素が充分入ってくると、時に脳は『酸素が満ちているからそんなに呼吸せずに頑張らなくていい』と、勘違いして呼吸の回数や深さを減じてしまいます。
今の時期は不安や恐怖を和らげて、呼吸の苦しさを取るために少しぼんやりさんの方が楽だ、そうなりたいと言う方も多いです。
◯◯さんはいかがですか?」

「頭がしっかりと最期まで自分でありたい。」

「時間は短いかもしれません。
それでは『最期までご自分で在りたい』を大切にしましょう。
その為に酸素も我慢しましょう。
炭酸ガスを少しでも減らすためです。
呼吸の苦しさを減じる為にごく僅かだけもう一度モルヒネを使いませんか?
ご自分を失う量にはさせません。
会っておきたい方、残しておきたい言葉などお考え下さい。」

再度訪問看護さんと相談して、モルヒネ10mgの坐薬を4分の1程度に切って使いました。(この時は薬剤が喉を通らなくなっていました)

5時間ほど経過して見に行ってくれた看護師さんからは

「とても落ち着いていました。
『まだ少し苦しいけどこれで良い、大丈夫。先生に言われたことを考えて、しなくてはならないことを今まとめてる。』
とのことです。」
と、ご報告がありました。

緩和ケアとはただ痛みや苦しみを除くだけではなく、その人らしさを引き出すための在り方を叶えるための工夫です。
この方にとって、毎日訪問看護さんが来てくれることが最も大きな心の支えだと仰っていました。
それに加えてご自分のお仕事の集大成。
それらを邪魔しないような薬剤調整。

ぼんやり穏やかに過ごすことだけが
理想的な終末期ではない。

人の数だけ幸せの在り方は違い、
価値観も違う、
そして薬剤の効き方もまた違うことをいつも忘れてはなりません。

彼は訪問看護師さんに心を開き、

十分生きたこと、
在宅で思いがけない良い時間を過ごせていること、
自分の生き方を理解してくれていること、
人生に満足していることなど
感謝の気持ちを繰り返し、話していました。

そして、
「死ぬことに何の不安もない。
ぜひ、金谷先生に伝えて欲しい。」と。

泣きました。

翌日、お昼過ぎに訪問看護さんに

「そろそろの様だから、少し楽になりたい。坐薬を少しだけ又使いたい。」
と話され、モルヒネ坐薬の数分の一量を使いました。

ご家族様に「もうお時間は僅かかと思います。お側にいらっしゃっても良いかと思います。」とご連絡差し上げ、数人のご家族様が駆けつけました。

旅立ちの少し前、血圧も触れなくなってから

「最期のトイレに行くかな…」と笑って話されました。
その体力は残されていませんでしたが、ガスが出ると満足されました。
気力だけで意識を保っている、
そんな時分になっても尚、トイレに行こうという、
その気迫、その気構えにご本人の生き様と尊厳を感じました。

ご家族に見守られて数時間後、何度か下顎呼吸となり静かに眠られました。

最期まで死としっかりと向かい合うことを選んだ、
とても潔い、
侍の様な旅立ちでした。

退院する時には24時間点滴で余命2週間とのお話でしたが、
癌末期でお一人暮らしでの生活を、2カ月ほどの僅かな期間でしたがお力添えできたことに感謝しかありません。

この方は物書きさんでした。

バンバンに浮腫み浸出液まで出ている足なのに、
文机にギリギリ最期まで向かい
ご自身のライフワークを計画的に仕上げ、
編集部への投函を託し、生きた証をしっかりと残されて行かれました。

モルヒネでぼんやりさんとなったご自分を「違う」と訴え、
私と訪問看護さんに「自分を取り戻したい」と願われ、
麻薬類の薬剤を中止しました。
クリアになってくる精神を静かに穏やかに噛み締めておられました。

お見事な生き様、去り際でした。

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