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2021.05.02

訪問診療ブログ『私の言葉が漫画で息づく①』

『私の言葉が漫画で息づく①』
2018年5月24日の投稿です。
魚戸先生が、「はっぴーえんど」作中に使って下さいました。
その際には訪問看護さんやご遺族にもお見せして、大変喜んでいただきました。
是非「はっぴーえんど」全9巻+特別編1巻=計10巻をお買い求めいただき、
良ければどこで登場するか探してみてくださいね。
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『お看取り・お看送り・お看贈り』
お看取りで呼ばれ、
その場に幼い子供さんたちがいらっしゃった時、
不謹慎ですがなぜか嬉しくてホッとします。
現代では、高齢者の死にお孫さんやひ孫さんが対峙する機会はなかなか多くはありません。
親御さんは、
おじいちゃんおばあちゃんの死に、
冷たくなったそのご遺体に、
子供たちがショックを受けたり
怖がったり
心に傷を負うことを心配されますが
それは杞憂と分かります。
幼な子たちや思春期の子供たちは、
大人よりももっと自然にもっとおおらかに、
そして満身の思いやりで死に対峙してくれます。
ある尊いいのちが旅立たれました。
そこには幼いお孫さんたちがいらっしゃいました。
私とお孫さんたちとの会話です。
「おばあちゃん、これから何に乗って行くの?」
「おばあちゃんはね、とても素敵できれいな乗り物がお迎えに来るんだよ。
おばあちゃんはとても一生懸命に生きて、たくさん良いことをいろんな人に残したから、御褒美に神様が大切にお迎えに来てくれるんだよ。」
「そこに〇〇のお手紙一緒に乗せられる?」
「もちろん。〇〇ちゃんのお手紙があったらおばあちゃん、読みながら退屈しないでお空に行けるね。
神様も横から覗いて、〇〇ちゃんのお手紙がとっても上手なことにびっくりするかもしれないね。」
「じゃあ頑張ってもっと書く!」
そして可愛らしいお孫さんは
静かに眠るおばあちゃんのお顔の側に
お手紙をそっと置きました。
なるべく自分の涙は見せないようにしていますが、
子供たちの真心に触れていつもの気丈さが崩れてしまいました。
お看取りの言葉は震えて声になりませんでした。
死は特別なものではなく
いつも日常の中にあり、
旅立つ方に感謝を込めて送り出す
尊い「区切り」なのだということを、
若い大切ないのちにも伝えていきたいと思います。
お看取りは「お看送り」、そして「お看贈り」。
贈り贈られるための大切な「場」です。
合掌。
2021.02.26

訪問診療ブログ『老いが悪いものという洗脳』

『老いが悪いものという洗脳』

女優さんはシワ、シミの無い美しいお顔立ちだけが魅力ではありません。
年齢を経てシワと表情に刻まれる優しさや貫禄はピカピカの若さには生み出せない価値です。
シワやシミをまるで悪いバイ菌の様に「無くさないとならないもの、醜いもの」の様に一体誰が煽るのか。

いつのまにか「老い」は「醜くて何とかしなければならないもの」と表現される様になってしまいました。
それは化粧品や健康食品や病院や高齢者産業などに「老い」を独占担当させる為です。
「老い」が「マイナスなこと」だと皆が思えば、
そこでお金儲けできるからです。
(注:お金儲けは悪ではない。洗脳を良くないと言っているだけ。高齢者も共に経済を回していける仕組みをその賢い頭脳で編み出そう)

そうして「老い」を「残念な悲しいこと」だから、
「なんとかしなければならないんだ」と皆が洗脳される様になってしまったんです。
老いて何かができなくなっても、知恵者としてご意見番となったり安心して子供を見てもらえたり、そんな大家族の中での役割も少なくなりました。
高齢者夫婦だけの世帯では、お互いに不安を抱えて生活しないとならないでしょう。
昔の様な自然な見守りのもと、
お互いに助け合う中で、老いは尊く、「自分たちの次の姿」と学ぶ機会も少なくなりました。

そうすると、「醜い」「面倒」「心配」「危険」と矢継ぎ早に追い込まれる高齢者は益々自分の価値を見出せずに混乱、苦悩していきます。

老いることはスバラシイ。
私は奢り、無知で愚かだった昔になんてちっとも戻りたくない。
シワもタルミもシミも何も怖くない。
ニコニコ笑うことこそがスバラシイ。
高い化粧品や皺伸ばしに専心するより、笑顔で過ごす心磨きが必要です。

ピカピカの肌も髪も死んだら灰になる。
どれだけ集めたモノもカネもあの世には持っていけない。

転んでも仕方ない。
危険でも仕方ない。
どこにも危険はあります。

お城みたいな高齢者住宅
脳の萎縮や行動異常を宣告する認知症医療
老いることは「みっともない」から「なんとかしなきゃ」と煽るマスコミ
皆で寄ってたかって「タイヘンダー」

本人は普通の人間なのに
なんとかしないとならない「困りもの」に仕立てられていく
自分は迷惑な存在
醜くくて役立たず
そんな窮地に追い込まれ
そして脳は寂しさと情けなさで溢れて
光を見出せなくなる

そんなのおかしいって

シワ万歳
忘れん坊、どんとこい
あちこち痛いのも、体力無いのも
懸命に生きてきた証拠

切ない病気になったなら、
痛みは取ってもらおう、夜は眠らせてもらおう
後はなる様にしかならない
それもまたこの人生
死んだらまた違う役割が待ってる

私は父を診るために在宅医となり、3年前に看取りました。
父は脳梗塞後に要介護5となり、色々できなくなりました。
けれども私は老いても自分の置かれた環境や立場に馴染もうと努力葛藤する父に多くを学びました。
死んだ後はもっと身近に感じます。
見守ってくれているのでしょう。
できなくなるのでは無い!
皆、人生を歩んでいるのです。
写真は父が生前要介護5で右手だけで作り上げた仏様です。
これは驚くほど父に似ています。
若い父には作ることはできなかったでしょう。
万感の思いが込められている仏様像です。

2020.12.11

訪問診療ブログ『ささやかなメッセージ✉️』

『ささやかなメッセージ✉️』
長い夜にはいつも癌末期患者さんのご家族や訪問看護さんたちとLINEなどでやりとりが続きます。
いくらでも説明ができて、
分からなければ繰り返して見て確かめることもできる。
SNSでのやりとりはとてもありがたい手段です。
ある娘さまに先程このように送りました。
『…
お母様が徐々にご自身で納得されて、
無理なく受け入れていただける「老い」であってほしいと思います。
老いは悲しいことではありません。
たとえできないことが増えても。
できなくなることが「老い」ではない。
「老い」とは、長く頑張って生きてこられた自分自身を受け入れていくことです。
どうか、聡明で理知的なお母様、
老いを悲しむことは、
それは違うのだとお気づき下さい。
邪魔をしている真面目なお気持ちを
少しだけ薬で楽にできるように工夫してみます。
素晴らしいご自身の人生を
老いを
受け入れて
ゆっくりと思い返して
対峙する時間でありますように。
お母様の歩みは娘さまや私や、関わる全ての方々への道標です。
明日が娘さまとお母様にとって良い一日でありますように。
札幌麻酔クリニック  金谷』
※写真は私の大好きな百代後半の女性の手です
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