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2019.10.11

訪問診療ブログ『胃瘻の方のその後…夫婦の大切な時間…そしてお別れ』

金谷潤子
9月19日

2月に胃瘻選択した方の投稿をし、
5月にさらに続編の投稿をしました。

実は昨年の今頃、この方が自宅退院された後、1ヶ月後にまさかのお父さまに末期癌が見つかっていました。

それでもお父さまは自分のことより、お母さまのお世話をすることを毎日大切にして過ごして来ました。
アクシデントを乗り越えて作り上げてきたご夫婦のささやかな幸せな時間も、残念ながらしばしの中断となります。

お父さまが静かに先立たれました。

もう一度、5月の投稿をご紹介させて下さい。
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「脳卒中の高齢女性。
リハビリ入院されていましたが、どうも状態が悪くひっきりなしに痰の吸引の毎日。
病院はこれ以上できることは無いとのこと。
娘さまとお父さまはそれならばと、自宅看取りも念頭に置かれてご縁があり昨年9月に退院しました。

お母さまは鼻管から栄養が入り、点滴をして、酸素が必要でした。
応答は全くありません。身動きもしません。
グァッグァッという、イビキとは違う苦しそうな呼吸音が一日中喉からしていました。
微熱があり、痰の吸引は頻回。

栄養と点滴をやめて自然なお看取りについて話し合いました。
けれども、ご主人さまは諦めきれない。
これ程病状が進む前、介護が少し必要となった奥様のために建て増ししたバリアフリーのお部屋。
やっと家に連れて帰って来たのにお別れなんて辛すぎる。

分かります。

お話を色々聞くと、以前鼻管が入っていた際には自分で何度も抜いてしまっていたとのこと。
鼻管がかなりのストレスとなる方は多くいらっしゃいます。
この喉元の苦しそうな音や、とめどなく上がってくる痰や、低酸素状態や発熱は何もかもが鼻管のせいに思われてなりません。

私は昔、鼻管がどれほどの苦痛か理解する為に自分で入れてみたことがあります。

鼻の奥から喉に管が常にあるその違和感は半端なく。

吐き気を催し、本当に辛かった。
人によっては咽頭の感覚が鋭敏な方と鈍磨な方がいらっしゃいますから一概には言えませんが、鼻管が入っていることで私は唾もうまく飲めませんでした。
患者さんによっては鼻管が入っていることそのものが誤嚥を引き起こす原因になる場合もあるのです。

私は鼻管の代わりに胃瘻を作る事についてご家族に提案をしました。

お父さまは「また入院はもう嫌だ。」
「苦しませるのも嫌だ。」

そうですよね。
でも、胃瘻の手術侵襲は胃カメラとさほど変わりません。
卒業したい時に胃瘻のカテーテルを抜くのはその場でもでき、孔は絆創膏で留めておくだけであっという間に自然に塞がります。

鼻管が取れたなら、お母さまはもっと良い方向に行くように私は思うのです。
お看取りを考えなくても良いかもしれません。
お別れしたくないが為にお父さまも胃瘻に同意され、
理解のある消化器の先生にご相談して短期入院を受けていただきました。
退院してから約1ヶ月後でした。

そして胃瘻栄養となり痰の吸引は殆ど必要無くなりました。
酸素吸入も必要無くなりました。

喉元の苦しそうな音は消失し、呼吸は安らかで、日中は開眼し表情が豊かになりました。
手足も少し動かすようになりました。
お声かけに反応することも増えています。
リハビリも始めました。
少しの楽しみならば口から食べる可能性も有るかもと判断して、嚥下のリハビリの為に訪問歯科さんも一生懸命工夫して下さってます。

お父さまは介護と寄り添いに生きる喜びを感じて日々過ごしておられます。

先日、往診の際に麻痺ではない右手を取り、

「〇〇さん、お父さんと毎日一緒に居て嬉しい?
嬉しかったら手をぎゅっとしてね。」
と、声かけすると直ぐにびっくりするくらい力強くぎゅっと握り返してきたのです。

じわぁっと目頭が熱くなりました。

この方はちゃんと毎日生きておられる。
感じておられる。

「お父さん!お父さん!
お母さんね、今、強くぎゅっとしたよ!
お父さんと一緒に居て幸せだって!!」

お父さまも目が潤み恥ずかしそうに「そうかい。嬉しいね。」

それからは娘さまも毎日、
ハンドコミュニケーションを楽しんでおられます。
リハビリの先生にお伝えして、コミュニケーションの手段など色々工夫していただけないか早速お願い致しました。
歯科からのさらなる応援もいただけるとの事です。

この方を自然経過でお看取りせずに、胃瘻を造設したことは延命治療でしょうか?

どの人にも生きるエネルギーの灯火があります。
どれほど高齢でも
意識レベルが低下していても
いのちの灯火は緩やかに小さくなろうと、消える仕度をしているのか、
あるいは小さな種火でも大きく燃えさかるチャンスを待っているのか、
私は医療者としてしっかりと見逃さないようにしたいといつも思います。」
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※写真は5月の投稿時と、7月に訪問看護さんと訪問リハビリさんで外に連れ出して下さった時のご夫婦の姿です。
またいつかこんな風に幸せにご一緒されて下さい。
先にゆっくり休まれて、待っていて下さいね。

合掌。

2019.09.17

訪問診療ブログ『高野山探訪』

金谷潤子
9月15日

山道を標高800mまで登ると周囲をさらに高い山々に囲まれた巨大な平地が突然現れる。
そこは弔いのテーマパークと言っても過言ではなかった。

歴史上の有名な方々や各界の著名人、大きな会社に縁故のある方の墓石や慰霊碑、供養塔などが林立していた。

鬱蒼と茂る樹齢数百年の杉木立の杜の中に、
たくさんの墓碑がひっそりと苔生して並んでいる。

圧巻であった。

人生に一度は訪れるべきと強く感じた。

大昔からどれほど多くの人々が、
天に近い高野山に墓碑を建てることを憧れたことか。

そっと気付かれない様に誰かが積んだ石。
大切な方の供養にさぞかしここに卒塔婆や五輪塔を建てたかっただろう。
せめてここに弔いの為の何かを…という「しるし」を
あちこちで見つけた。

私は特に決めた宗教がある訳では無いが、誘われるがままお遍路を続けるうちに、
昨年看取った父の供養にも想いを馳せた。

そして旅立った患者さんたちのお一人お一人や、
先に行かれた大切な方々、
いたましい戦争で失われたいのち、
震災によって失われたいのち、
自分が生かされていること、
全ての、生きて死ぬることについて。

それらを思い返す度に
弘法大師さまの姿に導かれて
不思議と心静かになることを感じていた。

今回、レンタカーを借りるとナンバーが父の名前の数字表記だった。
高野山に一緒に来たかったんだね。

誰もが夢見た天空の聖地。
極楽の具現。
時空を超えてあらゆるいのちを弔い続ける弘法大師さまの姿がそこにある。

またいつか参ります。
この度は遍路結願のご報告をお受け下さい。

日々案じる方々の
いえ全ての方の道行きが
穏やかで安らかでありますように。

この願いもどうかお受け下さいませ。

2019.09.17

訪問診療ブログ『お手あてを思い返そう、その底力』

金谷潤子
9月14日

その昔、日本では心身の調子が悪くても直ぐに医院に連れて行くのではなく、
先ずは家族やご近所さんの中で薬を分け合ったり、
有効な方法を皆で考えたりしていました。
そんな「手あて」と呼ばれていた民間療法の中には今もなお有効と信じ、
取り入れられている方法が多くあります。

1960年代に国民皆保険制度が確立し、
新しく大きな病院がどんどん設立され、
さらに70年代には後期高齢者保険制度が後押しして、いつのまにか「心身の不都合は病院にお任せ」のスタイルが出来上がって行きました。

しかし、どれ程機器が発達しても、
人の心身の不都合は検査で全て原因が分かるものではなく、
また、その改善も薬剤や病院での施術だけが頼りとなるわけではありません。

伝え聞いてきた民間療法や十分な休息、食事の工夫、人の優しさ、繋がり、信頼の中で改善を見る症状もたくさんあるのです。

高齢となったり障害を負っても、
私たちには「社会参加し幸せに生きる」権利と義務があります。

そして、若者には太刀打ちできない、
圧倒的な経験と知識もあります。

年をとろうが、
障害があろうが、
言葉が通じなくても、
お得意の札を持ち寄ってお互いに支え合うことで、
医者も想像できなかった隠された能力や治癒力が発揮されることも多いのです。

「手」を「あて」て、
「手」をとり「あ」っ「て」、
不都合を解決していく。
そこで分からぬものや重篤なことこそが、
そもそもの病院や医者の担いであったはずです。

予防医療でさえ、全て機器任せ。
それはおかしなこと。
自分の心身を日頃から良く知ろうと努力することが、
自己の健康の第一歩であり、
他人の心身にも手をあてることができるのではないでしょうか。

※この投稿の前半は来週末に予定の
北海道・東北地区訪問看護ステーション連絡協議会研修会の今回のテーマである「地域共生社会」について、私が寄せた抄録でもあります。
画像は訪問先の患者さんの家のブドウ棚。
この下に居たら辛いことも忘れそうですね。

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