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2019.08.29

訪問診療ブログ『老い』

金谷潤子
8月23日

歳をとればそりゃあ色々なところが老化する。
肌にシワやシミができ、
疲れやすくなり、
若い時みたいな詰め込み勉強はもうできない。
テレビで見かける人の名前が出てこない、アレあの人、ホラ誰だっけ。
あちこち痛いところもあり、
髪はボリュームが無くなり、
白髪が増える
排尿間隔は近くなり、
勢いも無くなり、
たまにはちびることも。
飲み食いしていて
時々むせることもある

これは病気では無い。

老化だ。
自然な成り行きだ。

認知症は脳の老化現象に対して病名が付けられたもの。
老化のメカニズムも様々だろう。
当たり前だ。
人の身体のメカニズムはまだまだ分からない事だらけなのだから。

研究は素晴らしい作業である。
少しずつ色々なことが解明される。
ありがたい恩恵がもたらされる。

しかし、認知症の病名で人が区分けされていくことにはどうしても疑問を感じる。

どんなに忘れん坊さんでも、
胆振東部地震の時は、
何も操作できないのに、
何の情報も無いのに、
家の中で慌てずにじっと息を潜めていた。
いつのまにか、やかんや鍋にお水をちゃんと溜めておられた。
ライフラインが途絶え、暗闇の中往診すると、
「先生、大丈夫かい?」と
私をねぎらってくれた。
涙が出た。

今日は往診の際に
施設に入所中の高齢女性が
私にこう言った。

「皆、嘘つきよ。」

何を嘘をついていますか?

「私は病気かい?」

…。 ◯◯さんは病気ではありませんね。
◯◯さんはただお年をとって普通に少しずつ衰えてきただけですね。

彼女は真っ直ぐ私の目を見て、
大きく満足そうにうなづいて

「そうでしょう?
そうよね。」

そして、イタズラっぽく軽く私を叩いて楽しそうに笑った。(仕方ないのよね、分かってる…と目が語ってた)

彼女を記す欄には「認知症」と書かれている。
役所に提出する書類や
施設のカルテや
家族の心の中でも
彼女は認知症だ。

彼女は「認知症」を生きているのだろうか?

私は認知症という病名が嫌いなのです。
日に何度も口にしますが、本当は嫌いなのです。

若年性認知症に対しては、違う病名であって欲しいと感じています。
歳をとり色々出てくる不都合を全て認知症とくくらないで欲しいのです。

歳をとり、忘れん坊さんになっても
できないことが増えても、
その方はご自身の「老いを生きている」

2019.08.21

訪問診療ブログ『在宅医療について徒然に思う』

金谷潤子
8月20日

今は総合診療という立派なジャンルができ、在宅医療につきまとっていた、ひと昔前までの「引退した医師が何となく施設をまとめて診ている役割」というやる気を感じられないイメージも薄れて来ました。
しかし総合診療と在宅医療はイコールではなく、緩和ケア医療と在宅医療ももちろんイコールではありません。
誤解されている病院医療者も多いかもしれません。

病院に於いて、患者さんは「治療」を求める存在です。
ですから、生命を少しでも存続させる為の治療或いは治療のための検査が行われます。
病院の中で治療に使われる手段は手術や手技、薬物、リハビリテーションなどです。

在宅医療に於いて、患者さんは「治療」を求めるとは限りません。
そもそもその方の生活の場に赴きますので、そこで対峙するのは「患者さん」ではなく「個人」です。
この方々の求めることの多くは「生活の存続」或いは「叶えたい願い」です。

毎日をどのように過ごすか。
過ごしたいか。
どこで過ごしたいか。
その為にどんな工夫が必要か。

緩和ケアとは癌末期或いは終末期の患者さんが、苦痛無い生活を叶える為に行われる全ての工夫を指します。
私が講演会で良く話していることです。

家族や近しい方がしてあげたいこと全て。

風邪をひいた幼な子にしてあげることを思い出して下さい。
心配無いよ、ここにいるよと抱きしめて、
汗をかいた肌着を取り替えて、
消化の良い食べ物を用意して、
風通しの良いように工夫して、
子守唄を眠るまで歌う。
それは全てが素晴らしい緩和ケアです。

「緩和ケア医療」は麻薬など特殊な薬剤を苦痛を除く為に使いこなすことかもしれませんが、緩和ケア医療とは緩和ケアの中のごく一部でしか無いのです。

在宅医療では、
「もう治療の手立てがありません」
というセリフがありません。
なぜなら病院から外に出た場では、できる工夫は無限に広がるからです。
私が病院に戻れない理由はここにあります。

患者さんの不都合を取り除く工夫を無限に考えられる喜び。
患者さんが求める生活や願いを叶える為のチームに携わる喜び。

そこではルールは変化します。
患者さんお一人お一人の望みは全て違い、また同じ方であっても思いは変わるかもしれないからです。

病院での医療は「科学」や「統計」などであり「治療」という答が導き出されます。

在宅医療に於ける医療は科学よりも「哲学」「倫理」的意味合いが強く、「治療」という答に結びつかない場合もあるのです。
科学と違って、
「答は無い」か、或いは「答は無限にある」。
「絶対的」でもあり「相対的」でもある。

計算式でまとめられるものではありませんから、
大切な資質は「柔軟性」。
そして求められるのは「勇気」「真心」「慈愛」。
もちろん経験や技術は当たり前に必要ですが、その上でこれらのキーワードが生き生きと前に出て来ます。

これは福祉や介護業界でも同じことです。

ですから地域医療、福祉、介護において、マニュアルで誘導しようとしても必ず失敗するのです。
AIの不得意分野でもあるこのエリアにこそ、きっと人の未来を紐解くヒントが隠されているのではないかと考えています。

2019.08.21

訪問診療ブログ『人生劇場、大女優の旅たち』

金谷潤子
8月10日

お盆休み、たくさん懐かしい方々が身近にお越しです。

ある高齢女性。
癌末期で病院受診しそのまま入院、絶食となり点滴だけが続けられていましたが、治療はもう不可能ならばと娘さまが在宅看取りを決心されて1週間前にご自宅退院となりました。

帰られてからは点滴はもちろん中止し、
すっかり浮腫んでいる全身から少しでも水が引けてくる様にステロイドと利尿剤、胃薬はお飲みいただきました。

痛みの強い癌であるにもかかわらず、鎮痛薬はフェントステープ1mgのみで穏やかな日々が始まりました。
果物を数口、ササゲの煮物、カレイの煮付けなど少しずつ毎日。
大方は眠っていますが、目覚めている時には子供さまたちとたくさんお話されたそうです。
亡くなったご自身のお母様が頬ずりして来られ、白狐さまも現れたそうです。

道行きの案内役として来られたのですね。
お迎えは怖いですか?と尋ねると
静かに微笑まれて首を横に振りました。

訪問看護さんに便処置をしていただき、身体をきれいに拭いて頂いたりする中、呼吸は少しずつ低下していきました。

「ぷくぷくに浮腫んだ姿で旅立つのは嫌よ」と、
まるで排出することに魂を込めているかの様にステロイドと利尿剤に良く反応され、
毎日1500mlほど排尿がありました。
ゾウさんの様にパンパンだった足もほっそり。

しかし、昨日いよいよ呼吸が怪しくなりました。

「お母様、おきれいで身だしなみに気を遣われる方でしょうから、このところの暑さもありお風呂に入りたいのではないでしょうか?」
娘さまもご本人さまも、二つ返事でご希望されました。

「ケアマネさん!◯◯さんにもう時間の余裕はありません。
どうか最期にお風呂の願いを叶えてあげて下さい。」

ケアマネさんに訪問入浴依頼のお電話入れたのは昨日の15時過ぎ。

お盆連休直前の無謀な要求に何とか応えて下さり、
お手配していただいた今日午前中の訪問入浴。

入浴介助スタッフの男性に恥じらいを見せながら、でも気持ちよさそうに髪も身体もきれいに洗っていただいた後、30分ほどでお迎えが来ました。

その昔は女優さんへの夢をお持ちだったそうです。
細くなった足にはきれいにペディキュアが施され、訪問看護さんのお手伝いで素敵なお召し物にお着替えされました。

往年の女優さんの大往生の様ですよ。
たくさんお声かけさせていただきました。

息子さまも娘さまも泣き笑いの中、幸せなお看取りとなりました。

合掌。

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