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2019.08.21

訪問診療ブログ『在宅医療について徒然に思う』

金谷潤子
8月20日

今は総合診療という立派なジャンルができ、在宅医療につきまとっていた、ひと昔前までの「引退した医師が何となく施設をまとめて診ている役割」というやる気を感じられないイメージも薄れて来ました。
しかし総合診療と在宅医療はイコールではなく、緩和ケア医療と在宅医療ももちろんイコールではありません。
誤解されている病院医療者も多いかもしれません。

病院に於いて、患者さんは「治療」を求める存在です。
ですから、生命を少しでも存続させる為の治療或いは治療のための検査が行われます。
病院の中で治療に使われる手段は手術や手技、薬物、リハビリテーションなどです。

在宅医療に於いて、患者さんは「治療」を求めるとは限りません。
そもそもその方の生活の場に赴きますので、そこで対峙するのは「患者さん」ではなく「個人」です。
この方々の求めることの多くは「生活の存続」或いは「叶えたい願い」です。

毎日をどのように過ごすか。
過ごしたいか。
どこで過ごしたいか。
その為にどんな工夫が必要か。

緩和ケアとは癌末期或いは終末期の患者さんが、苦痛無い生活を叶える為に行われる全ての工夫を指します。
私が講演会で良く話していることです。

家族や近しい方がしてあげたいこと全て。

風邪をひいた幼な子にしてあげることを思い出して下さい。
心配無いよ、ここにいるよと抱きしめて、
汗をかいた肌着を取り替えて、
消化の良い食べ物を用意して、
風通しの良いように工夫して、
子守唄を眠るまで歌う。
それは全てが素晴らしい緩和ケアです。

「緩和ケア医療」は麻薬など特殊な薬剤を苦痛を除く為に使いこなすことかもしれませんが、緩和ケア医療とは緩和ケアの中のごく一部でしか無いのです。

在宅医療では、
「もう治療の手立てがありません」
というセリフがありません。
なぜなら病院から外に出た場では、できる工夫は無限に広がるからです。
私が病院に戻れない理由はここにあります。

患者さんの不都合を取り除く工夫を無限に考えられる喜び。
患者さんが求める生活や願いを叶える為のチームに携わる喜び。

そこではルールは変化します。
患者さんお一人お一人の望みは全て違い、また同じ方であっても思いは変わるかもしれないからです。

病院での医療は「科学」や「統計」などであり「治療」という答が導き出されます。

在宅医療に於ける医療は科学よりも「哲学」「倫理」的意味合いが強く、「治療」という答に結びつかない場合もあるのです。
科学と違って、
「答は無い」か、或いは「答は無限にある」。
「絶対的」でもあり「相対的」でもある。

計算式でまとめられるものではありませんから、
大切な資質は「柔軟性」。
そして求められるのは「勇気」「真心」「慈愛」。
もちろん経験や技術は当たり前に必要ですが、その上でこれらのキーワードが生き生きと前に出て来ます。

これは福祉や介護業界でも同じことです。

ですから地域医療、福祉、介護において、マニュアルで誘導しようとしても必ず失敗するのです。
AIの不得意分野でもあるこのエリアにこそ、きっと人の未来を紐解くヒントが隠されているのではないかと考えています。

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