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2019.02.27

訪問診療ブログ『黄泉比良坂(よもつひらさか)』

金谷 潤子

2月24日

黄泉比良坂(よもつひらさか)

聞いたことがありますか?
現世と常世の境目とされています。
その昔、日本神話では国造りの男神イザナギが亡くなった女神イザナミに逢いに行きます。
決して姿を見ない様に言われたのに、つい火を灯すとイザナミは既に醜く腐っており、見られた怒りでイザナギを追いかけて来ます。
必死に逃げたイザナギは黄泉比良坂まで来て、ここを岩で閉じてしまいます。
悔しくてイザナミは「人の命を毎日1000人終わりにしよう」と言い放つと、イザナギは「それなら毎日1500人の赤子が産まれるようにしよう」と答えたとか。
ここから生と死の概念、寿命などが生じたと言われています。
三途の河と似ていますね。
世界中であの世とこの世の境目には川やトンネルが共通して登場するのは不思議です。
ですからやはりあの世はあるのでしょう。
先日お看取りした方は、なぜ保っているのか医学的には理解できない状況で3〜4日間持ちこたえました。
血圧はずっと50以下で測定不能。
意識はもちろん既に無く、40度の発熱がありました。
血圧が低いのにもかかわらず、高熱のおかげで手足の色は変わらず(通常、お看取り近くに血圧が下がってくると、血が届かなくなる為、手足の先から青っぽく冷たく変化してきます)
ポカポカでした。
高熱にもかかわらずなぜか呼吸はとても穏やかでお顔も気持ち良さそうに寝ているようにしか見えませんでした。
この方は子供さま3人にお会いしたかった様です。
血圧が下がり身体は終焉を迎えようとしていましたが、持ち堪える為にこの方は自ら発熱して血流を保ちました。
(辛そうには見えませんでしたので、解熱の為の薬剤は用いませんでした。後から、それは意味のある、本人の意思による発熱だったと気がつきました。)
最後に遠く離れた息子さまが到着すると、
その数時間後に熱は下がり奇跡は幕を閉じました。
黄泉比良坂を越えることは
あるいは三途の河を渡ることは
簡単でした。
けれどもお父さまはそこで懸命に工夫されて待っておられました。
人のいのちは医者が決めるものではありません。
緩和ケアや終末期医療というものは、
人が現世での自らのいのちを終おうとする為のお手伝いです。
「ケア」と言う言葉の意味は「おてあて」「寄り添い」「気遣い」「お世話」「お手伝い」「癒し」です。
「キュア」は医療で生命を救う治療を施すことですが、
緩和ケアはキュアでは無いのです。
それは家族や近しい方々でも十分にできることも。
むしろ、薬よりも大きな効果が近しい人々や環境に隠されています。
麻薬や精神科薬を使いこなすことだけが緩和ケアと考えるのは大間違いです。
終末期における医療は、
ご本人の終おうとしているそのやり方の決して邪魔をしないよう、
穏やかで安心した時間であるようなお手伝いであるよう、
いつも心がけなくてはなりません。

※写真は恐山の極楽浜です。

2019.02.22

訪問診療ブログ『110歳に近いあなたと。』【過去編】

金谷 潤子
2018年11月30日

皆が大ファンになる◯◯さん。
お通じが順調だと、「決まりよく出てくれるねぇ」
◯◯さんの人生で悲しかったことは何?「戦争だねぇ」
ご飯は三食いつも残しません。
戦時中のひもじい経験があるから、お残しはできないのだそうです。
いつ食べられなくなるかわからないから、きちんと食べておかなくちゃ…とのこと。
心不全がありますが、訪問看護さんと連携プレーで利尿薬など微調整しながら何とか急性増悪は避けて生活できています。
独立型の施設ではご飯の提供とお風呂の手助けが提供されており、今日のランチはお弁当でした
月末はお弁当スタイルなのだそうです。
とっても美味しそう
とても小柄なのにこのお弁当も完食する◯◯さんです。
110年近くも生きているこの方の言葉のひとつひとつが学びでしか有りません。
高齢者をどうするとか、どこに預けるとか、認知症だからどうだとか、そんな事をどれだけ話し合っても何の解決にもなりはしない。
長く生きて来られた方の新たな生き甲斐や楽しみや役割について真剣に考えてみませんか?
私たちが歳をとったときに、そうしてもらいたいと思いませんか?
自分たちが年老いた時にどのように生きたいですか?
お金でなんて解決できないのですよ。
高額な高齢者住宅で、安心や幸せが手に入ると思っている方は大間違いです。
人間の良心、真心だけが未来を救える。
今の私たちの生き方、考え方、姿勢が問われているのです。

2019.02.19

訪問診療ブログ『最期まで自分で在ったこと』(続編)

2月13日投稿の『最期まで自分で在ったこと』には続きがあります。

続けてお読み頂けると幸いです。

金谷 潤子
2018年11月6日 

前回投稿の方のお迎えが参りました。
お昼過ぎに訪問看護さんに
「そろそろの様だから、少し楽になりたい。坐薬を少しだけ又使いたい。」
と話され、モルヒネ坐薬の数分の一量を使いました。
ご家族様に「もうお時間は僅かかと思います。お側にいらっしゃっても良いかと思います。」とご連絡差し上げ、数人のご家族様が駆けつけました。
旅立ちの少し前、血圧も触れなくなってから「最期のトイレに行くかな…」と話されました。
その体力は残されていませんでしたが、ガスが出ると満足されました。気力だけで意識を保っているそんな時になっても尚お手洗いに行こうという気構えにご本人の尊厳を感じます。
ご家族に見守られて数時間後、何度か苦しそうな呼吸となり静かに眠られました。
ご家族様にも説明致しましたが、
死前喘鳴(死の直前に呼吸が苦しそうになること)は自然な成り行きです。
おそらく赤ちゃんがこの世に生まれてくる際に、産道を通り抜ける苦しさと同じではないかと勝手に考えています。
違う世界に渡る際には、何か呼吸(エネルギー摂取)の大きな変化があるのでしょうか。
最期まで死としっかりと向かい合うことを選んだ、
とても潔い、
侍の様な旅立ちでした。
癌末期でお一人暮らしでの生活を、2カ月ほどの僅かな期間でしたがお力添えできたことに感謝です。
詳しくは話せませんが生きた証をしっかりと残されて行かれました。
モルヒネでぼんやりさんとなったご自分を「違う」と訴え、
私と訪問看護さんに「自分を取り戻したい」と願われ、
麻薬類の薬剤を中止しました。
クリアになってくる精神を静かに穏やかに噛み締めておられました。
かっこよかったです。
お見事な生き様、去り際でした。
合掌。

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