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2019.02.19

訪問診療ブログ『最期まで自分で在ったこと』(続編)

2月13日投稿の『最期まで自分で在ったこと』には続きがあります。

続けてお読み頂けると幸いです。

金谷 潤子
2018年11月6日 

前回投稿の方のお迎えが参りました。
お昼過ぎに訪問看護さんに
「そろそろの様だから、少し楽になりたい。坐薬を少しだけ又使いたい。」
と話され、モルヒネ坐薬の数分の一量を使いました。
ご家族様に「もうお時間は僅かかと思います。お側にいらっしゃっても良いかと思います。」とご連絡差し上げ、数人のご家族様が駆けつけました。
旅立ちの少し前、血圧も触れなくなってから「最期のトイレに行くかな…」と話されました。
その体力は残されていませんでしたが、ガスが出ると満足されました。気力だけで意識を保っているそんな時になっても尚お手洗いに行こうという気構えにご本人の尊厳を感じます。
ご家族に見守られて数時間後、何度か苦しそうな呼吸となり静かに眠られました。
ご家族様にも説明致しましたが、
死前喘鳴(死の直前に呼吸が苦しそうになること)は自然な成り行きです。
おそらく赤ちゃんがこの世に生まれてくる際に、産道を通り抜ける苦しさと同じではないかと勝手に考えています。
違う世界に渡る際には、何か呼吸(エネルギー摂取)の大きな変化があるのでしょうか。
最期まで死としっかりと向かい合うことを選んだ、
とても潔い、
侍の様な旅立ちでした。
癌末期でお一人暮らしでの生活を、2カ月ほどの僅かな期間でしたがお力添えできたことに感謝です。
詳しくは話せませんが生きた証をしっかりと残されて行かれました。
モルヒネでぼんやりさんとなったご自分を「違う」と訴え、
私と訪問看護さんに「自分を取り戻したい」と願われ、
麻薬類の薬剤を中止しました。
クリアになってくる精神を静かに穏やかに噛み締めておられました。
かっこよかったです。
お見事な生き様、去り際でした。
合掌。

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